勉強を楽しくする方法99〜量のトレーニンング〜

世界史検定1級にずっと合格できず、結局何年間も受け続けた。
ある講演会に行った時に、「どうやったら合格しますかね?」と尋ねたところ、一言「圧倒的な量をこなしなさい。」と言われた。


最近、昔のテレビ番組のアーカイブを見て、漫画の神様手塚治虫の仕事ぶりを知ることができた。
パーティーがあったり、フランスのイベントに出席したり、多忙な中で常に漫画を描き続ける姿がそこにはあった。
そう創作する姿たるや、凄まじいの一言であった。
創作するプライベート・アトリエのような所があり、連載作品を複数抱える手塚氏は作品によってバックミュージックを変えることでインスピレーションを掻き立てていた。
たとえば、クラシックをかけながら漫画を描木、テレビを観ながら、何か目にしたものをアイデアにして作品の構想を練る。
インスピレーションが湧いてくるというよりも、捻り出している感じがあった。
飛行機が出発すまでの時間にタクシーの中で漫画を描き、飛行機の中で描く。
好きな仕事でも、ここまで浸かれば、好きではなくなるのではないかと思う。
それ程のおぞましいタイトワークをこなして、日々葛藤する漫画の神様の姿がそこにはあった。
そこに立つアンテナは、どんな情報に触れても反応できるようだ。
使命感と衝動が筆を動かしているかのように見えた。


圧倒的にインプットし、アウトプットする。
これが繋がっていく生活スタイルが送れたら、素敵だと私は思う。


インプットも速読したり、遅読したり、使い分ける必要がある。
しかし、それはインプットだけやっていても身につかないのかもしれない。
アウトプットする場があり、それに期待する人の数が多くなっていくほど、自分のインプットも発展させざるを得ないだろう。


そして、誰でも不遇の時代やスランプは訪れるということ。
底から這い上がるような精神力が試される。
必死で継続する姿は、作品に反映される。
かの手塚治虫でさえそうだったのだ。
スランプの時代の暗さを当時の作品から窺えることを、当の本人が語っていた。


天才と呼ばれ、神様と呼ばれる人間が一番量をこなしている。
天才がゆえに量をこなせるのか。
それとも、量をこなせることが天才なのか。


どちらにせよ、大量生産が成功のバローメーターなんだと私は思った。
深く考えている暇がないほどに、時間に追われる。
しかし、制約があるからこそ、人間は力を発揮するのかもしれない。
いくらでも時間があるからといって、良い作品ができるとは限らない。
編集者の人間的な圧力や週刊連載という締め切りのプレッシャーが人間を駆り立てる。
力を120%発揮し、取るるに足らないかと思えるアイデアからもヒントを得ようと奮闘する。
そういう状況的緊迫感の中に身を委ねていると、自分の能力を最大限に活用することができるのだ。


本人がこんな状況を望んでいるとは限らない。
しかし、何かがそうさせるのだろう。
自分がこの道を歩くことを許してしまうのだ。
このような仕事の姿勢から学べることはたくさんあると思う。
量をこなす人は量に追われて、思考が疎かになるなんていう言い訳をしない。
バリバリ量を捌いて、活路を見出している。


たとえ、一般人でも素人でもそんな生活習慣を確立することで、スリリングに忙しさと戦いながら自分を磨いて行けたら素晴らしいと思った。


いつか自分が必死に生産した成果物を喜び、周囲を期待させることができるように学び続ける。
楽しく学びを続け、仕事として戦えるようになった時にその能力を存分に発揮する。
その時には、きっと細胞レベルで全ての知力・体力を自分の仕事に注いでいるだろう。


好きな分野であっても、死力を尽くして作品を作ることは伊達じゃない。
圧倒的な巨匠や玄人たちの技は、弛むことなき勉強と献身の姿勢を教えてくれる。