勉強を楽しくする方法97〜笑顔〜

一人で勉強していて、笑顔になることは少ない。
そのかわりに驚いたり、「これは使えそうだ」と確信することはよくある。
試験に合格すると、達成感も得られる。
実際に一人で勉強して獲得する知識は、とても価値のあるものだ。
しかし、実際にはもっと応用できたり、議論を呼ぶポテンシャルを備えていたりもする。
議論の面白さは、知識や理論の様々な可能性を知ることができてる点にある。
友人が考えたことに新しい発見を見出す時、人は笑顔になるのではないだろうか。


一人で勉強していて得られた驚嘆、発見、感動などの感情を、他者と共有することでそこに笑顔が生まれる。
お互いが学びへの意識が高ければ高いほど、知ることの面白さに気づいていくことができる。

だから、勉強は笑顔を生む可能性を持っていると思う。
大人になればなるほど、経験も増し、他者への共感力が高まる。
だから、「こんな話をしても大丈夫だろうか」という話でも、聞いてくれたりする。
それは他の人も同じような経験をしたことがあるからだ。
経験がなくても、「社会ってそういうことあるよね」という姿勢を持っているからだろう。
あるいは、親身になって考えてくれる人も出てくるし、思わぬ角度から有効なアドバイスを与えてくれる人もいるだろう。
悩み抜いた決断の背中を押してくれる人もいるに違いない。
人間はそうやって、コミュニケーションによって正解のない「知」を探求してきた。
机の上だけではできない作業もあるということだ。


感情を伴った知的交流は、時に衝突も生み出す。
そして、それは自分の考えを問い直す契機を与えてくれる。
それはブレイクスルーを生み出し、さらなる議論の発展を生むだろう。


*もし、深遠な知識を「自分の中だけ」に持っているのであれば、それは宝の持ち腐れ状態になっている可能性がある。*

その知識を実際に外に出してみると、意外とみんな聞いてくれるかもしれない。
そして、勉強になったといって相手が意外に感心してくれることもある。
人間は目の前の人が自分の話を楽しみに待ってくれていると思うと、頑張れる生き物ではないだろうか。


たとえば、作家や漫画家はやはり、読者が自分の作品を心待ちにしてくれていると思うからこそ、筆に気合いが入っていくのだろう。


身近な経験であっても、たとえばメルカリで全国の誰かが自分の商品を買ってくれて、「楽しみに待っています!」とコメントしてくれたら、なるべく早く送ってあげたいと思うのが人情であろう。
商品を発送し、到着した時の購入者の笑顔を見ることはできないけども、それは想像に難くない。
かつて自分も同じように経験したことのある、注文した商品を受け取った時のあの喜びなのだと。
全国の誰とも知らない人が見えないどこかで喜んでくれているだけでも、こちらにはやりがいを感じられるのだ。


もしあなたがする勉強にも待っている人がいると思えば、勉強への捉え方が変わってくるかもしれない。
自分の気づきや知識を共有することが、人に少なくない「影響」を与え、自分が何らかの「役割」を果たしていることを実感できれば、勉強は「楽しいもの」に変わる可能性があると感じないだろうか。


しかし、そんな場所も環境も滅多にない。
そんな真面目な友人も周囲にいない。

 

そうだろうか。
探せばきっとそういう人は少なくないと思う。
もしかしたら、あなたのごく身近にそういう人はいて、話せば意外に食いついてくることもあるかもしれない。
自分のアウトプット力を磨けば、あなたを中心に話に花が咲き、いろんな思いを共有できる世界ができるかもしれない。


*人は意外に話せば、聞いてくれる存在だ。*
*なぜなら、人間は本来的に学ぶことが大好きだからだ。*

人間は社会に関わるほどに、日々解決できないような問題にぶつかり、悩むこともある。
正面突破ができない時に、人は知恵を求めて解決策を探す。
苦しみを癒し、笑顔を生み出す画期的な「知」を求める。
*学びへのニーズは常に存在しているのだ。*
知識欲は人間の本能だとも言える。

要は、あなたがその思いを届けたいと本気で思っているかどうかの差だ。
普通に話しても、あなたの親友はきっと聞いてくれるし、本気で話せば、興味を持つ人が出て来て、やがてコミュニティに発展するかもしれない。
自ら可能性を閉ざしさえしなければ、日常に取り組んでいる勉強はきっと価値を発揮するだろう。


思い通りにならない人間の感情を、一つの俎上に乗せて話しあえる場所は安心できないだろうか。
時に、意見がすれ違ってもそれすら認め合えたら、成熟したコミュニティだと言えるだろう。
「こんな複雑で細かい話題」であっても少なくても興味を持ってくれて、頷いてくれるだけで、「ありがたい」と思えるだろう。
その延長にきっと笑顔がある。


この笑顔を得るということは結果であって、目的ではないのかもしれない。
しかし、結果的にコミュニティに笑顔が溢れると、勢いやパワーが出てくるはずだ。
だから、結果的に笑顔が生まれてくるのは勉強の一つの到達点なのかもしれない。


そして、勉強と笑顔というのは、普通は離れた2つの点だと考える。
この両者の距離を近づけるために、大切なことは何だろう。

それは「積極的に関わる姿勢」だ。
大衆に分け入っていくような、ある意味で無鉄砲で、切られる覚悟と言ってもいいかもしれない。
そこまでしないと、なかなか人には伝わらないだろう。


一生懸命勉強した末に得られる感動は、あなたが一生懸命頑張ったからこそ得られたものだ。
しかし、人はそれぞれにそれぞれの状況があり、あなたの専門分野に詳しいとは限らない。
人が集中できる範囲は限られている。
だから、もしかしたらあなたがわざわざ言ってくれなければ、存在すら知りもしないかもしれない。
あなたが本気で伝えてくれたことが、思わぬ拍子にその人の心を動かすことはある。
もちろん、伝える方法やタイミングは大切だけれども、こつこつと発信し続けることであなたの知恵を頼りにして人が集まることにつながっていく。
笑顔はこうして生まれていくのだ。


人と関わろうとする姿勢は、勉強している価値を何倍にも高めてくれる。
人と関わる場所があるだけで、それは感謝できるような環境ではないだろうか。
あなたの知識は、もしかしたらまだ存分には活用されず、埋もれた宝になっていないだろうか。

外に出した瞬間に、大輪の花を咲かせるタイミングを逸してはいないか。