勉強を楽しくする方法93〜書いたことが実現する〜

noteに投稿を継続する上で、気づいたことがある。
それは、今までのアウトプットの量が不足していたことと、*書いていることが自分を成長させていくということ*だ。


インプットばかりをしていた日常から、アウトプットが伴う日常に変わると、普段から気づいたことをメモする習慣が生まれる。
「これは、ネタになる」というものとの出会いに気付ける。
今までならスルーしていたであろう出来事も、深く考えることで発見があったりする。
これは、アウトプットによって日常の頭の使い方を変えることができたということだろう。
そして、当たり前のように毎日書いていると、たまには背伸びしたことや理想的なことも書きたくなる。
「これをやってみたい」ということを、思い切って書いてみる。

書いたことは、自分の中からそう簡単に消えない。
書いたことに伴って生きていくようになる。
書いたことが自分の芯にこだまする。
つまり、書いた通りに自分が変わっていくのだ。


私は「書くこと」が過去にも、未来にも良い影響を与えると考える。
過去のことを一度、まとまった文章で書いてみると、記憶上で思い出すよりもはるかに深く当時を振り返ることができる。
過去を言語化するという作業が、自分の中の当時の映像を介して行われるからだろうか。
そして、それを手で書いて表現することで追体験するような感覚で、色んなことがポジティブに思い出されていくのだ。


たとえ、それが苦労や挫折といった体験談であっても、「あんなこともあったなあ」と懐かしく思い出せるのだ。


私は将来的に本を出したいと思っているから、それに相当する量の文章を書いている。
編集者がいるわけでもなし、とりあえず量をこなすといったスタイルで筆を進める。
出版する前から、書いてこそきっと実現するという思いもある。
しかし、誰に言われるわけでもなく、誰に出すわけでもない。
そんな文章を自分でたくさんの時間をかけて、書いていく作業は意外に自分の感覚を総動員させる。


もちろん、書くからにはそれなりのことを書こうとしないと、「量」を書けない。
だから、できるだけディティールまで当時を思い出し、当時の思いや葛藤、信念、失敗などなどを書き連ねることになる。
これをやってみて思うことは、自分の中に「清々しい風が吹いてくる感じがする」ということなのだ。


手を使って書く作業自体は、おそらくランニングと比べたら消費カロリーは少ないだろう。
しかし、その集中力たるや圧倒的なパワーを書いている自分から感じることがある。
調子が出てくると、ランナーズハイならぬライターズハイに突入していく。
それは時間の経過すら忘れさせ、自分に没頭する空間となる。


こういうことを書きながら、「書く」ことの不思議さを実感してきた。
「書く」ことが自分に悟らせ、改心させ、行動を変える。
あるいは、過去の意味や価値を再認識したりできること。
ここから、私は「書く」という行為の特殊性を感じる。
神経と集中力と想像力を働かせ、体力も動員し、感性を発揮し、構想力を展開して創造する「書く」作業は、自分自身に刻み付けるかのように学習させるのかもしれない。
書くことができれば、話せるようにもなる。
それくらい書くという作業は自分の中に深い記憶と印象を残す。
それは、単に空で書いているという軽い感覚ではない。
その後の人生が書く延長にあるかのように、後々まで大きく影響を与え続ける威力を持つ作業なのだ。

こういう前提で未来について書き続けると、どんなことが起こるのだろう。
自分もやりたいども、なかなかうまくいっていない出来事について書いてみるとしよう。
本当はこうしたい、ああしたいと。


その思いを書いたことで、誰あろう自分自身に強く響く。
目標を達成する必要性を深く実感し、自分の中で反芻し、書いた後も自己の中で反響がやまない。
それは、きっと無意識のレベルで続いていく。
そして、やがてそれは実現の日を迎えることになるのだ。


書くことのこうした効果や不思議さは多くの著作で示されてきた。
著作物は確かに、多くの人々に影響を与える。
「読む」と影響を受ける。
「書く」と自分に影響を与える。
書く側に立ってみると、自分自身に深く学ばせる。


誰でもまとまった文章を書いていくことはできる。
たとえ、本を書こうとは考えてなくても、一回全ての思いを書いてみると、書く前と後ではきっとあなたは大きく変化している。


しかし、書くということは意外と面倒で、あまりやりたがらない人が多い。
自分の思いを書くなんていうのは、「小学生の作文じゃあるまいし」という
感覚を持っているのかもしれない。


仮にあなたの架空のファンに対して、話をしていると想定しよう。
あなたは教える立場だ。
体面を保とうと思えば下手なことは言えないし、知る人ぞ知るメソッドやテクニックをできれば伝えたい。
それが自分の人生に裏打ちされていたら、なお良い。
説得力が生まれ、相手はあなたの話をもっと多くの友人に広げたいと感じるだろう。

そして、それを文章化してみる。
そうすると、自分なりに相手にうまく伝えるためにあの手この手で創意工夫を重ねるに違いない。
書くことは書き直しができるから、ベストを追求できる。
こんなに巧みに表現できたと、自分自身を褒めたくなるような納得の仕上がり
の時もあるだろう。
いや、この文章が伝わらないはずがない。
きっと伝わる。
私が腕によりをかけて書いた文章なのだから。


その時、おそらく自分に一番伝わっているのだろう。
その「自惚れ」が自分に教えているのだ。

「書くこと」はきっとあなたに新しい体験をもたらす。
あなたの感性に新たな感覚を届ける。

「書くこと」について、もっと知るために私ももっと書いていきたいと思う。