勉強を楽しくする方法84〜知恵を授かる〜

読書を行う意味はどういったところにあるのだろう?
読書では知識や情報は当然得られるし、著者の独特の表現や巧みな言い回しについて学べる。
そして、何といっても著者の知恵を学ぶことができる。
これが大きい。


知恵とは知識や情報とは異なる。
知恵の実態は、著者の解釈や人生観、現実の場面における実践的な役立て方などである。


この出会いに驚いたり、感動したりするのだ。


どんな分野でも、その分野を簡潔に説明した本を10冊も読めば、その分野の一通りの内容は頭に入るのではないだろうか。


ただし、読書を進めているとどうしても耳慣れない言葉と出会うことがある。
それをスルーして読むとその後の理解が進まず、著者の考えについていけないことがある。

もちろん、頻出の言葉であれば出会いの回数を重ねていく内に、文脈上から意味を取れることもあるだろう。


しかし、文脈上の意味を取っていたとしても、辞書的な意味を押さえる価値はある。


自分の推測と実際の意味がズレているということはよくあるし、そうでなくても正統な意味を知ることで推測を確信に変えることができる。


やはり、何事においても基礎は重要で、推測に推測を重ねて堅牢な論理の世界を知ることはできない。
できた気になっていたとしても、それは砂上の楼閣で脆い。


基本の定義というものがあってこそ、著者のストーリーはスムーズに自分の中に入ってくるのだ。


だから、私はどんな分野の本を読むにしろ、Googleを開いて音声検索ができる状態をスタンバイして本を読む。


最初は時間がかかっていても良いと考える。
むしろ、最初はその分野を構成する主要なワードの意味を片っ端から押さえていく。


たとえば、インターネットに関する本を読んでも、聞いたことすらないカタカナや企業名が頻出する。
そして、それを片っ端から検索にかけていく。


時に、「このサイト、さっきも開いたな」という場面も出てくる。
そうやって何度も調べては出会うことで、ワードは理解と共に確実に自分の中に入ってくる。

同時に著者の言わんとすることも理解できるようになる。
その鋭いものの見方やその分野の重要性に気づき、知恵を授かることができるのだ。


やはり、人間のものの見方・考え方が驚きや発見、感動を生む。
教科書をどれだけ精読しても、そこにあるのは知識や情報を超えることはないだろう。


読書は、その著者が知識や情報を活用してこう思った、このように言えるという風に独自の意見を表明してくれている。


もちろん、それとは違う見方がいくらでも世の中には存在するのだけれども、まずは知識は活用されてなんぼ、である。


知識を使いこなしている様子を見ることで学ぶことができるのだ。


だから、道具である知識について、こちら側が無知であってはお話にならない。
著者と距離を開けたまま話が進んでいくことになってしまう。


知識を徹底的に調べ上げる作業は、読書の作法にあたると思う。


この作業は面倒に感じるかもしれないが、曖昧な理解なまま、分かったつもりで突き進む違和感と比べれば、やる価値は絶大だ。


ぜひ、この一手間を。


これだけで学びは一層深まり、勉強はもっと楽しくなっていく。