勉強を楽しくする方法78〜『21Lessons』〜
ユヴァル・ノア・ハラリ氏の『21Lessons』を読んで感じた2つのことを書いていきたい。
1つは学ぶ姿勢の重要性、もう1つが自分を知ることの重要性である。
現代社会は情報で溢れている。
一つのニュースのことを調べようと思えば、いろんな分野の知識が必要であり、時間もかかる。
世の中は膨大な情報や知識で溢れていることを実感する。
そして、それはもはや全てを知ることはできないほどの量だ。
自分がどれだけ勉強しても分からないことはたくさんある。
まだ人類に分かっていないこともたくさんあるだろう。
では、勉強が不要かというとそういうことではないと思う。
分ろうとする努力は絶えず必要だと思う。
人生を豊かにし、時代の根底にある世相をつかみ、社会の発展に貢献していくために、知ろうとする姿勢は持っていたい。
たとえ全部を知ることができなくても、だ。
全部を知ることができないからこそ、情報を選択することが重要になってくる。
お金を払ってでも質の高い情報を手にする価値が生まれる。
情報は数限りなく存在する。
無料で手に入るものも当然ある。
無料で質の高いものもあるだろう。
しかし、無料の情報を世の中に消費させられているという見方も成立する。
本当に質の高い情報があるにも関わらず、その情報の存在を知らなかったり、とりあえず、ありあわせの情報で時間を浪費してしまっていないかを考えてみる必要はあるだろう。
そして、世の中の全部を知らずとも、一部を知れば、その他の部分は周囲の人と協力して補うことができれば、世の中に価値を加えていくことができるだろう。
あくまでも、自分が主体的に学ぶ姿勢を持っていてこそ、世の中の情報を取りにいく姿勢が生まれ、情報を消費させられるのではなく、情報を消費することで世の中に貢献できていくのではないかと思うに至った。
次に、自分を知ることの重要性について。
私は、『21Lessons』を読むまでは自分のことは大抵のことは分かっているつもりでいた。
自分で学びたいことを決定し、自分で自分の人生の決断をし、自分がやりたいことをしてきたと思っている。
だから、自分の人生に誇りを持ち、どこかで自信を持っていたかもしれない。
そして、どこかでは人生は思い通りになるものだと過信していたかもしれない。
『21Lessons』の瞑想の話が印象に残っている。
私も最近ちょうど、瞑想を始めて見たタイミングだった。
私の場合は、なんちゃって瞑想だが。
これまで本を読んできた中に、瞑想が左脳と右脳をつなげるような活動にあたるという話があったことを記憶している。
私はどちらかというと、左脳ばかり使って日々活動している。
記憶や論理ばかり使って、感性をあまり使えていない気がしていた。
左脳・右脳というからには、バランスを保つ必要があるだろう。
そんなことがあり、瞑想をいつかやってみたいと考えていたところだった。
そして、いざ瞑想をやってみると、これが意外に心地よい。
意外にハマる。
私は今までは瞑想に対してどこか怪しい印象を抱いていた。
スピリチュアル系の胡散臭いイメージを持っていた。
しかし、いざ始めてみると、これが今までの目が覚めている時間帯では、こんなにゆっくりした時間を過ごして来なかったことを実感した。
たとえ10分でも瞑想はやってみる価値はある。
『21Lessons』の瞑想での話は、自分が決して思い通りにならないことを指摘している。
自分の意識は、特定のものに集中しようとしても、数分後には別のことを考えたりして、絶えずゆらゆらと揺れ動き、定まらない。
試しに瞑想をやってみてほしい。
これでもかというくらい、意識は別の方向へと流れていく。
呼吸を意識しようとしても、しばらくすると、今日を振り返ってみたり、明日のことを考えてみたり・・・
そして、こう思うのだ。
自分は本当に自分のことをよく理解し、自分をコントロールできていると言えるだろうか、と。
自分の人生をコントロールしている気になっているだけではないか、と。
傲慢になり、謙虚さが足りず、知識も足りず、もっと学ばないといけないのではないか、と。
自分がコントロールできている前提から、自分がコントロールできていない前提に移行して、物事に取り組んでみる。
そうするとまた違うものが見えてくる気がしないだろうか。
今までと真逆のものの見え方になる可能性もある。
そして、そういう物の見方への変化が人生の転機になることもある。
見方の変化は、人生を変化させることがある。
学ぶ姿勢を持ち、自分をコントロールできないものだと知っていること。
その理解が、自分を本当の意味で成長させることに役に立つ気がした。
より多くの立場を考えたり、自分を世の中に活かすことができるだろう。