勉強を楽しくする方法74〜生活から人との繋がりに気づく〜

 

コロナウィルスの影響で人々の生産活動が止まっていき、それが経済の衰退に繋がっていくことを、今以上に実感を持って感じることはないだろう。

 

 

勉強していて、理想の答えにはいくらでも出会える。

 

 

勉強する過程で、自分の見方を確立していき、それをニュースや情報に当てはめていくことは大切だ。

 

 

しかし、街を歩いて人々の数が極端に少ないと感じたり、スーパーで買い物をしている時に、ささいな譲り合いがある時に人々の本当の理想に出会える。

 

 

それは、誰しも幸せになりたいということである。

 

 

これを実感するには、勉強して頭で理解するよりも現場を見て肌で分かっている方が重要であったりする。

 

 

1万件の交通事故のグラフを見るよりも、1枚の交通事故の写真、もっと言えば道すがら実際の交通事故が起きたときの現場を見た方が、より交通事故を実感することができるだろう。

 

 

 

人とのつながりを実感する場面は実際の生活にある。

理想は大切だ。

みんなが幸せに生きたい。

そして各人の幸せがある。

 

 

田舎に住んでようと、都会に住んでようと、子供が安心して学び、大人が安心して働き、大人と子供が安心して生活できるところに笑顔がある。

そして、なるべくそれが上手くいくように助け合っている。

 

 

そういう実感をもとに、理想を理解しないと実現はできないだろう。

実現を目指さない理想にどんな価値があるのだろう。

 

 

私たちは自分の理想に向かって、なるべく幸せになれるように生きているはずだ。

 

 

今食卓に並んでいる食事の供給が、ストップされたらどうする?

お店まで商品を運んでくれる人がいなくなったらどうする?

水道やガス、電気が止まったらどうする?

 

 

どうしようもなくなる。

どこかで誰かが食料を生産し、運び、管理してくれている。

 

 

そういう当たり前の事実が至極当たり前のものとして看過され、軽視され、そのインフラが危機にさらされた時に、初めてありがたさを実感したりする。

 

 

それは風邪で寝込んだときの思いと同じだ。

普段の健康がどれほどありがたいか、ごはんを普通に食べることができ、元気に歩き、働けることがどんなにありがたいかを実感する。

 

 

今、理想的な知識を学んでいたとしても、それが直ちに現実に当てはめられるわけではない。

 

理想的なものであっても、人々のつながりという実態を介さずに理解していた気になっていると危ない。

 

 

理想が先行すると、食料や電気が当たり前に来るものだと思ってしまう。

しかし、その「大前提」な部分は人によって支えられている。

そして、そこに危機がある時に真剣に考えないといけない。

さらには普段から現実を見ながら、理想を考え続けていく必要がある。

 

 

理想を追求する人ほど、「大前提」を大事にしないといけない。

それが人間同士のつながりだったりする。

自分以外の人も幸せに毎日を過ごせるかを大切にする。

 

 

情報を伝えていくことだ。

 

 

それが日常、勉強している意味だったりする。