勉強を楽しくする方法77〜歴史の本質〜

『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ)を読み、歴史学の深さを知る。

 

 

世界史を勉強して来て良かったと思える一冊である。

 

 

特に500年前から展開される人類の歴史は興味深い。

これは、ヨーロッパ人の新大陸発見に代表される人間の知識欲の話である。

 

 

中世以前では、いかに秩序を維持するか、もしくは良くて秩序を停滞させないことを目標としていた。

 

 

別の見方をすれば、将来的にこの世界が良くなっていくと考えるのではなく、すでに完成した過去の秩序を目標に社会は運営されていた。

 

その秩序とは神々が気付いた秩序であり、古代ギリシャ・ローマが構築した秩序であったりする。

 

 

 

その完成形より、良くなることはまずないという前提で、いかに過去に近づくかという発想で全ての世界が回っていた。

 

 

この世界で分からないことは神が全て知っていた。

誰もが神に答えを求め、それで説明がついた。

 

 

そんな秩序を改変して良くしようという考えは人間の思い上がりであり、神への冒涜だとみなされた。

 

 

つまり、疑問に対する答えは既に出ており、神は全てを知っているという前提があった。

 

 

しかし、ここに科学が登場することとなる。

 

 

それは人類史上初めて、自分は知らないということを前提に進歩を目指すことを意味した。

 

 

新大陸を発見した時、ヨーロッパ人はそこに今までの知識では知ることがなかった世界を見た。

そして、彼らは現地の民族、文化、統治システム、言語などさまざまな現地の文化を調査し、データとして記録した。

 

 

そして、自分たちの対応方法を考え、実施した。

 

 

中世までの世界地図は全ての部分が埋め尽くされていた。

しかし、ルネサンス期以降になると、アメリカ大陸部分のところが空白になったり、東海岸のみ描かれている地図が登場することになる。

 

 

分かっていないから書けない。

自分たちに、分かっていないことがあることを認める。

神が全てを説明できるわけではないと考える。

 

 

この科学の存在は、帝国や資本主義と結びつき、一目散に進歩を目指すこととなる。

科学上の発見がテクノロジーと結びつき、それが社会の発展を促した。

そこから生まれた経済の活性化が、研究資金を提供し、さらに生活を進歩させる発見が生まれた。

 

 

 

こうして将来に向かって人類は成長し、良くなっていくのだという認識が生まれる。

 

資本主義は進歩と発展を前提に拡大生産していくシステムだ。

 

 

このヨーロッパ人の進歩主義の発想は、今までにないものであった。

それまでの歴史においては、帝国の発展は隣り合う領域を支配するという方法をとった。

 

 

見ず知らずの新しい土地に侵略を試みようということはなかった。

 

 

これは、支配のためのテクノロジーがないということを意味しない。

 

 

コロンブスよりも前の時代に、中国の明帝国コロンブスとは比較にならないほどの大規模の船団で遠征を実施している。

 

 

この大艦隊を指揮した鄭和はアフリカのマリンディにまで到達した。

その彼が、アメリカのアラスカに行く「技術」はあったはずだ。

 

 

しかし、ヨーロッパの冒険心のような発想で、知らない大陸に進出し、ましてやそこを支配するということを彼が実施することはなかった。

 

 

インドのムガル帝国オスマン帝国も同様だ。

彼らに技術がなかったわけではない。

彼らに新秩序を作るという発想がなかっただけである。

 

 

ヨーロッパ人の冒険心からやがて帝国主義へと至るまでの過程は、もちろん称賛できない部分は数多くある。

 

 

 

しかし、私は『サピエンス全史』を読んで、こう思った。

 

何が書かれているかより、何が書かれていないかが重要であること。

そして、タブーに思い切って切り込むことで、全体像が見えること。

 

 

教科書に「大航海時代」がやたらと大げさに書かれている印象があった。

今思えば、それが本質的に何を意味するのかが分かっていなかった。

 

 

人類が神のもとで全てを知っている前提でそれまでの歴史が展開されて来たが、大航海時代は人類史の大きなターニングポイントに差し掛かったことを意味したということ。

 

 

人類には「知らないこと」が数多くあり、それを研究していくことで対象を征服し、新しい秩序を生み出していける発想を手にしたということ。

 

 

だから、インド=ヨーロッパ語が発見され、楔形文字が解読された。

 

 

そんな大前提の発想をなかなか教科書で自力で実感することは難しい。

 

 

それもそのはず、その大前提が綺麗に欠落して書かれているのだから。

少なくても私の洞察力では、その大前提を教科書の記述のみで捉えきることはできなかった。

 

 

そして、人類史はとんでもない歴史である。

綺麗も汚いもなんでもある、殺戮のプロセスでもある。

 

 

 

そこを直視することで、本当の人類史が見えてくる。

 

 

価値観も磨かれていく。

 

 

 

『サピエンス全史』を読むと、世界史の知識は身につけておいて損はないと実感する。

 

 

歴史が楽しくなる。

ユヴァル・ノア・ハラリ氏が大前提を自ら組み上げてくれている。

 

 

そして、自分の頭で大前提を組み上げる努力の大切さを実感できる。

 

 

改めて歴史を学びたいと思える一冊だ。